hennyu_1’s blog

大学3年次編入を目指す者のメンタル寄稿

編入試験対策について振り返る。

編入を終えた直後だからこそ、自らの体験に成功バイアス(合格した後に実際はかなり苦しかったのに、案外簡単だったなみたいな感情を抱いていくこと)をなるべく取り払った素直な感想を書き連ねて行こうかなと思います。

 

実際は辛く楽しかったです。長く感じました。4月→11月で対策してきたのですが、8月ぐらいに、まだ試験まで3ヶ月あるのかよ、と思ってたような気がします。夏休みは長くて辛かったです。しかし、夏休みで大きく成長できたと感じています。経済学、数学はここで大きく基礎知識を習得していった気がします。

 

4→7月はTOEIC対策 7→11月は専門対策

という振り分けで勉強してきました。

もちろん、ECCの経済だけは受講していたので(過去問入手の目的が9割)4月から、専門科目の基礎には触れていました。

 

TOEICは4回受けて4回目で850を取るという作戦だったのですが3回目の6月の時点のTOEICで850を超えることが出来たので、7月は勉強をしていましたが、受けるのを辞め、専門科目の対策にシフトしました。(大学のテスト時期と被るなどの要因もありました)。

 

しかしこれは愚策でした。周りのTOEICのスコアインフレを予測できず、相対的に受験生合格層のTOEICスコアに遅れを取ってしまった印象です。つまり900を目標とすべきでした。

 

まぁそれは置いておいて、TOEICの対策も、意外と辛かったように記憶しています。特にリーディングは集中して対策するのが難しく、1回の模試をはじめる敷居が高かった気がします。

 

それと、TOEICは一番最初の学習初めがきつかったです。何をどう対策したらいいのか、洪水状態である情報を取捨選択して、試行錯誤しなければなりませんでしたから。

 

私は、TOEICテスト究極のゼミから対策に入ることをおすすめします。パート別の特質を抑えることができるので、いいスタートが切れるように感じました。実際に私はそれを通して基礎を学び、あとは実践を積み重ねるスタイルをとり850超えを2,3ヶ月でマークしました。

 

専門科目に関しても、最初が難しい。何も無いnothingから、学問を始める訳ですから。

まず、意味のわからない文字がたくさんでてきたり、概念理解が難しい。それと、何から学習するべきなのか優先順位がわからない!信用に足る教材はなにかもわからない!そういう所が難しいです。

使用教材は後日、情報発信します。

 

総括して編入対策はメンタル辛いです。飛ばしすぎないことが重要だと思います。

自分の心と真摯に向き合って、今日は何時間なら勉強しても耐えられるのか、聞いてあげることが大切だと思ってます。

 

僕の場合、限界を超えた努力をした場合、次の日から全く勉強が手につかなくなるなどの弊害をきたすことに気づいたため、一日三時間だけをコンスタントにする!と自分と約束していたりしました。

 

自分のキャパシティとメンタリティとの対話が編入試験だったな、、今気付きました。

なぜ編入しようと考えたのか。

クソみたいにこじらせたブログを書いていたようですが、とりあえず面白いので残しておこうと思います。

 

無事に編入試験、名古屋大学経済学部の合格は果たせたので、一応安心であります。

 

自己紹介がまだでしたので、しておきます。

公立小中高→Bランク大学 です。

編入を志望した理由のいちばん大きな本音は自分自身へのケジメです。

 

両親が中学一年のときに離婚し、父親に引き取られたのですが、それからずっとDVを受けてきました。姉と3人暮らしでしたが、まず姉が鬱になり家を出ていったことから高校三年生になる頃にはかなり酷い虐待を受けるようになり、私自身も鬱になりました。

 

高校も不登校になり、母親のもとに引き取ってもらいましたが、通院や家庭裁判で勉強が全く出来なくなりました。

 

話せば長くなりすぎるので、この話はここまでにしておきますが、、

 

不遇な環境で育ってきたからこそ、環境のせいにしたくないという意思が強く、その吐き口は学問に向かいました。

 

志望していた大学には通うことが出来なくなり、父親のせいで自分の人生が思い通りにならないことが、嫌でなりませんでした。

 

そこから、僕は編入学で自分の本来の力を試そうと考えるに至りました。

 

編入を志望する上で、大切なのは編入への強い意志だと思いますが、''学歴コンプレックス''というものだけでは、途中で折れてしまう方が多いのではないのか、と、この半年ちょっとで感じました。

 

途中で離脱していく人も多かったです。

 

暗い話になってしまいましたが、このような背景がありますので、他の人よりは強く踏ん張れたのかな?とは思います。

 

もちろん鬱は大学1年のうちに回復しましたので、2年になってから編入の勉強ははじめました。(単位が1年であまりとれてなかったので大変極まりない)

 

読んでいただきありがとうございました。

キンコン西野に思うこと。

Twitterキンコン西野近畿大学の卒業式の祝辞について賛否両論意見が飛び交っている。

YouTubeで見た時は、普通にいい雰囲気でやってたなーって普通に感じてそれで終わりだったんだけど、

Twitterでは批判も多い。

なんでこんなに叩かれてるのか理解が出来ないが、、、

やはり日本人は尖ったり挑戦してる人が嫌いなんだろうなぁって思う。

挑戦してる人間は徹底的に潰す。

成功した人間は徹底気に崇める。

成功したら神格化されるのに挑戦中はかなり厳しい目を向ける、

そんな日本が僕は大嫌いです。

 

近畿大学ではいい雰囲気で終わったんだから、部外者がどうこう言わなくて良くないか?

どんだけ首を突っ込みたいんだと。

あるツイートには登壇で拍手を湧き起こさせた手法を宗教でよく使われる罪悪感を抱かせて云々ということを書いていたが、

あくまで近畿大学に頼まれてお話をしただけで、しんみりおわるより盛り上がって終わった方がいいに決まってるし、どうしても悪く言いたいのかな。お門違いも甚だしいと。まぁ別にキンコン西野セミナーに入ってるわけでもファンでもないのだが。

 

まぁTwitterは例えば学校のクラスで文化祭の準備をやろうときに頑張ろうという雰囲気の中ひたすらクラスの隅でなにもせず文句しか言わないやつの巣窟なので、こういったネガティブな意見に染まるのも無理はない。

今日は勉強が手につかない

自分には気分のムラがあって、まぁみんなもそうなのかわからないけど、集中出来ない日はとことんできない。

 

それも1週間に何日も気分が乗らないときもあるから、困ったものである。1週間連続で毎日モチベーションを保てたことが未だ編入試験勉強を始めてないと思う。情けないやつだ。

 

何故できないのかと突き詰めたときに理由ははっきりしている。

 

大学受験の失敗の原因である彼女と未だに付き合っている。

 

確かに心の支えになるところもあるが、自分は勉強と恋愛の両立はできない人間で、自覚している。だからなるだけ合格までは会いたくないし、勉強に集中したい。

 

それなのに連絡過多で、するはずもない(する時間すらない)浮気がどーので、レベルの低いことで精神的負荷をかけてくる...。

 

別れようとしても別れようとしても、泣いたりだなんだで、結局別れられない、ずっとこうだ。

 

精神が病んでいるためこちらも病みそうになる。

 

毎度相手にしていたが本当に疲れたなぁ。

 

何度別れようって決意しただろうか、、今回も別れられないのかなぁ。別れを伝えたらまたそれで、家まで来るだなんだで、また邪魔になる..。

日本企業の就職実情について

大学生総勢は日本の企業って総じて世界的には下降傾向にあるってことをまず自覚しなくてはならないと僕は思う。

 

昔ならば雇われてから企業に鍛えてもらって社会に通用する人間になっていくなんてこともできただろうが、今は企業にそんな体力はなく、違うだろう。

 

今の時代は学生が自分で海外留学に行って語学を身につけるだとか、自分で学生団体やプロジェクトを立ち上げてリーダーシップ経験をするだとか、そういった自己投資なるものをして自分に磨きをかけてきた優秀な学生を企業が何千万と投資して雇うだけであると、感じている。

 

だから一流なところであっても、大学で4年間過ごしてきて、サークルとバイトしかしてませんとか、4年間何も精を尽くしたことがないとか、そんなやつに内定が出るわけはない。

 

それが東大なのに就職先がないとか京大なのに就職先がないとかいうことだろう。

 

俺の知り合いの京大生も4回生の最後まで就活に苦しんでいたが、そういうところだろう。京大だけどなにも身につけてきてない。留学経験もないし、TOEICのスコアも大したことは無いし、リーダーシップもないし、簿記もやってきていないし、その他の資格も大してない。

 

これこそが学歴の無駄遣いだと思う。結局は大したところに就職は出来ていなかった。

 

就職はゴールじゃないし、就職のために大学に行く訳では無い。もちろん自分も就職のために編入を狙っている訳では無い。編入志望先に僕がしたい研究をしている尊敬する教授のゼミがあり、そこでの研究や、成果が結果として就活で評価されるだけだと思っている。

 

生きていく以上就活はしなければならないから、自分が学びたい大学で、学生生活を謳歌したのちに、その段階が待ち受けているだけであって、そのためだけに編入を志している訳では無い。

 

就職のために、編入を志そうとしているものがいるなら少し考え改めた方がいいかもしれない。

 

なぜなら学歴を手に入れたとして、それは選択肢を広げるのではなく狭めることになるからだ。

 

学歴を手にしたものの行く未来は、かなり決められている。一流企業に就職するか公務員エリートコースにいくか、大体はこうなる。

 

つまり多くの一流大卒は競争を勝ち抜いてきたにも関わらず、また競争をしにいくのだ。

 

そこでは昇進争いが待ち受けているし、激務にも対応しなくてはならないかもしれない。

 

だから、就職のためだけにと考えている人は1度考えてもいいかもしれない。

 

学歴がない人でも金を稼ぐことはいくらでもできるし、編入で受かるほどの努力をビジネスセンスを磨くほうへと投資すれば、それはきっとあなたを光らせる未来へ繋がる。

 

就職するにしても、実力さえあれば、初めに入った企業でビジネスセンスを磨いていけば転職、転職で一流企業に入ることだって容易に可能だ(これは僕の東証上場企業勤めの父が言っていた)

 

随分学生の分際で、経験したことも無い日本の就活事情の考察を殴り書きしてきたが、なんの根拠もないので結論として受け流して欲しい。

 

しかし自分は自分自身の考察から、考えて学生生活を送ろうと思う。

 

来る就活で、自分が働きたいと思っている業界に求められる人材になるように。また自分が行きたいゼミで研究ができるように。ひとつずつステップをクリアしていきたい。

編入を志してはや一ヶ月と半分くらい。

今までは心のうちに溜めていたことをTwitterに吐き出すようにしていたのだが、どうやらフォロワーの増加に伴い、僕の発言を快く思わない人も増えてきたらしい。


何処にも向けようのない心の中の葛藤であったりを、しばらくはここには吐き出すことにする。


編入試験というのは、一般入試とは異なる。


第一に、周りが楽しそうにしている中、黙々と勉強する必要性がある。編入を志すものは孤独との戦いを強要される。これは、一般入試でいう、みんながやっているから自分も頑張るが通用しない世界で、いつでも逃げ出すことが可能な環境である。すなわち、主体性が求められるのが編入試験だろう。


第二に、主体性と被る部分もあるが、行動力も一般入試に比べると編入試験は求められるところにあると思う。ここに辿り着いているということは言うまでもないことだろうが、編入試験は情報戦とも称されるほど、情報不足だ、これもまた予備校に足を運ぶことや、合格者となんとかコネクションを作り、質問をするなどが必要になってくる。一般入試のように誰も、諭してはくれない。


こういう訳で、編入試験は一般入試とは異なるところで挑戦者を阻む。


多くの一般入試失敗者で、編入を志した者達は、これらの関門を突破できず、諦めて行ったことだろう。


編入試験はセンター試験を突破せずに、国立大学に入学できることから、裏口入学だ、などと言われることがあるが、一般入試入試に真剣に取り組んだからこそ言えるが、編入試験は単なる試験ではない、目に見えない高い壁が確実に存在する。


編入試験を志す者は少なくとも普通の大学生とは異なる1,2年を過ごさなくてはならない...。


自分がその渦中に飛び込んだのは、つい1.5ヶ月ほど前のことである。


実は自分も先述した、受験失敗から編入試験を志し諦めた者の一人である。1回生のうちはすぐに忘れて大学生活を平凡に送っていた。ここにやはり編入の壁は存在した。


しかし、何故ここに来てまた編入試験を意識し始めたかと言うと


心のどこかに1年間残り続けた、劣等感、コンプレックス、悔しさ、向上心。


バイトや恋愛、サークルに明け暮れたが、その気持ちは常にどこからかやってきた。消えることは無かった。


そして、たまたまTwitter神戸大学編入を成功させた、同大学の先輩を発見した、思わずダイレクトメッセージを送信し、次の日には、直接話を伺った。


そうして編入試験に対しての概要を掴んだ後、今こうして受験生のような生活を続けている。


もちろん不安で、孤独。今までの友達を避けるように講義を受けて1人で図書館へ向かう生活をするよう心がける。しかし、今日は友達と授業終わりに接触する。もちろん、そんな日もある。ご飯を誘われ断れない雰囲気になり、一緒に食べたり雑談をするが、その時もスタートの遅れた自分は勉強しなければと背徳感に駆られることになる。


これらをクリアした者が編入試験に合格するのだと思う。


もちろん元々、独りである環境を作りだせる志望生は大学での勉強は捗るだろうが、大学テストの過去問共有などができず、単位取得に時間がかかることや、大学の楽しさなどの醍醐味を犠牲にすることにもなる。


どちらにせよ、かなり厳しい生活を強いられることは間違いないところである。


僕の編入試験への挑戦はまだスタート地点に立ったばかり、このブログはそんな僕の編入挑戦への備忘録である。


その都度思ったことを書き留めていく。どんなメンタリズムが生み出されていくのか、僕も楽しみであり恐い。